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映画『HINOKIO ヒノキオ』 [映画感想‐邦画]

夏休みの時季なので再視聴。主演は本郷奏多、多部未華子と今をときめく若手俳優の初々しい姿が拝めます。感想としては数年前に観た時点と変わりはないので、初鑑賞時、某所に書いたものをそのまま載せちゃおうかと。はい、手抜きです、すみません。

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率直な感想は「惜しい、もったいない」の一言に尽きるか。絶えて久しいジュブナイルSFの佳作に成り得たかも知れない作品なのに。もっともこれは大人になった自分の感傷的なフィルターを通した評価であって、この映画のメインターゲット(だと思うが)の小・中学生くらいの子供達が観た感想はどんなものか、むしろそちらに興味がある。自分はこの決して整っていない不器用な映画と、その可能性がとても好きだけど。

VFX畑出身の監督が主要なポストを全て賄う、ある意味ワンマンな映画ってパターンが日本でも増えた。これもそんな一本だ。監督本人が長年温めていた企画だそうだがオリジナルの構想のまま撮られていたらどうなっていただろう。脚本としてもう二人の名前がクレジットされているが整合性もまとまりの無さもそれが原因だろうか。この映画の最大の失敗は脚本の拙さだと思うから。

辛い経験から外界との接触を拒否する少年に与えられた一体のロボット・ヒノキオ、この造形がとても素晴らしい。実物大の模型とCGの併用だろうけど画面上の違和感は全く無い。とても自然に溶け込んでいる。逆にヒロインを演じた多部未華子(当時14~15歳か)のプロポーションが良すぎて、彼女のランドセル姿の方が違和感あったくらい。それほどの説得力を持たせることに成功しておきながらどうして制作者側が最後までヒノキオ自身が持つ力を信じることが出来なかったのか。先に書いた「脚本の拙さ」はそんなところにも特徴的だった。

========【※以下、少々ネタバレ気味です】========

劇中に登場するオンラインゲームは蛇足にしかなっておらず(主人公は途中でプレイを止めているし彼にはヒノキオという究極の「体感ゲーム」があるじゃないか)映画に全く貢献していない。「ゲーム内と現実とが関連する」としても、それは子供達の中での都市伝説みたいなものであり、あくまで偶然の一致とするべきじゃなかったか。ましてやそれをクライマックスの解決策として持ち出すなんて反則技だ。主人公が再び外へと一歩を踏み出す勇気も決意も、彼と外界とを繋ぐ唯一無二のインターフェイスであるヒノキオを通じてこそ成されるべきだったのに。感動的に「奇蹟」を見せられてもシラケるばかりだった。物語ってやつを舐めていないか?とすら感じたほどだ。

主要キャストの子役たちはみんな良かったと思う。キャラクター設定自体の拙さを補っていたし。残念なのは父親役の中村雅俊だ。正直ミスキャストだと思う。かつて雑誌のアンケートなどで「理想の父親 第一位」に選ばれたこともある彼のイメージに期待したんだろうが、この映画には相応しくない。

余談というか無い物ねだり。この映画はいつの時代が舞台かあえて明確にしていない。だがヒノキオの技術的成熟度を見る限りかなり未来の話だろう。でもなんだか妙にアナクロな描写が多いんだ。転入生を仲間に迎える通過儀礼も「昭和のドラマか」という感じだしなぁ。クラスメートも通行人もヒノキオを自然に受け入れてしまえるほど当たり前になっている、そんな未来像をちょっとでも垣間見せて欲しかった。

この路線が今後も発展していって欲しいと本当に思う。逆にこんな映画がもう制作できないような、そんな厳しく寂しい状況に邦画が陥っているならとても残念だ。

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タグ:映画 HINOKIO

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